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2020.02.28

【現場読解】

シンガポールや日本を拠点にグローバルな舞台で活躍するリーダーたちが、人生やビジネスについての信念や情熱を語る!世界の未来を担う人たちにヒントをあたえてくれる「オススメの一冊」も紹介。

《第6回》

斎藤工と松田聖子が共演した最新作『家族のレシピ』などで知られる、シンガポールを代表する映画監督エリック・クーのほぼ全長編作品の音響デザインを手がけるKazz氏。人生の大半をここで過ごしてきたユニークな視点で、シンガポールでの生活や仕事観を語ってもらった。


Kazzさん
佐藤和生
1973年静岡県生まれ
S.A.E スクールオブオーディオエンジニア卒
在星通算36年
尊敬するリーダー/リー・クアンユー氏
モットー/臨機応変

muse pte ltd
www.musepl.com
本社所在地/2 Venture Drive, #16-28 Vision Exchange, (S)608526
資本金/100,000 ドル
従業員/8名 (2020年2月現在 パートタイムスタッフ含む)
業務内容/企画から納品までのビデオおよび映画音響制作
問い合わせ先/info@musepl.com


高校生で二度目の渡星

 シンガポールに住むのは二度目で、一度目はヤオハンに勤めていた父の赴任で6歳の時に来星しました。当時はまだマクドナルドが1号店しかなかった時代。ラッキープラザの裏手に住んでいて、タングスの工事が進んでいく様子を見ていたのを覚えています。日本人小学校に通っていたのですが、3年生くらいになるとスクールバスはお子ちゃまのもの、という風潮があったので、クレメンティまで市バスで通っていましたね。日本人中学校に入学してすぐ、父のブルネイ転勤が決まりました。当時のブルネイにはインター校がなく、標準マレー語ですべての授業が行われる現地校はさすがに無理だろうということで、父の実家の北海道旭川に移りました。

 父はその後帰任となりましたが、どんどん小売業の競合が増えるシンガポールでの売上強化のため、再赴任することに。煮え切らない高校生活を送っていた私は、シンガポールに行きたい意思を伝え父に同行しました。ISS(*1)に転校し、ESL(*2) で初めて本格的に英語を習得しました。
*1 : International School *2 : English as a Second Language

 高校時代は、4つほどバンドを掛け持ちしていました。当時は日本のバンドブームで、ベーシストとして日本仕込みのスキルのあった私は貴重がられました。10バンドほどで場所を借りてライブをやったとき、あるローカルバンドにスカウトされました。海外のステージにも招かれたり、かろうじて全部持ち出しではない程度に活動していました。

芸術家サロンだったニュートンサーカスで、エリック・クー監督に出会う

 シンガポールでは18歳から飲酒可能なので、ニュートンサーカスに入り浸っていました。当時はまだ改装前の汚いホーカーズで、観光客ぼったくりも横行していましたが、ローカル人たちにとっては芸術家サロンのような場所でした。ミュージシャン、詩人、ホラー作家なんかがたむろして、ビールを飲みながら話に興じていました。そこで、映画監督のエリック・クーと知り合ったんです。

 彼は長編デビュー作「ミーボック・マン」(1995年)の準備中で、当時在籍していたバンドで、オープニング曲を提供することになりました。実は、ついでに本編にも少し出演しています。映画を見るのは好きでしたが、まさか自分が作る側になるなんて想像したこともありませんでした。撮影現場を目にし、映画制作や映画の中の音の世界に、どんどん引き込まれていきました。ISS卒業、アメリカン・カレッジからS.A.E スクールオブオーディオエンジニアに進み、録音、編集、仕上げまで音響のすべてを学びました。エリックが10年後に手がけた3作目「Be With Me」以降、彼の作品のすべての長編作品の音響デザインを担当、シンガポール映画界での仕事は今年で20年目になります。

決して定職率は高くはない、映像プロダクションという仕事

 卒業後、ポスト・プロダクション会社2社で働きましたが、その後元同僚たちと共に独立しmuse pte ltdを起業しました。その時のパートナーの一人が、今の共同経営者です。当初は、テレビCMの仕事が主でしたが、次第にどこの企業もCMの予算が削減され、TVドラマや企業PRビデオなど、仕事の幅を広げていきました。現在スタッフは正社員7名にフリーランス1名です。企業PRや商品開発ビデオの場合、何を売りにしたいか企画の段階から関わりながら、プロデューサーが撮影プランを組んでいきます。撮影チームと編集チームはそれぞれ2名、グラフィックデザインはその4人がみんなで分担します。編集済みの映像の音を仕上げるのが私の仕事で、すべて一人で担当しています。映画も同様で、ノイズ除去から効果音入れまでオフィスで単独作業し、最終的に、ドルビーのライセンスを持つ音響スタジオで完成させます。

 現在のスタッフの多くは、ポリテクニックのインターンからの採用です。彼らには即戦力がありますが、クライアントの要望を自分たちの仕事の言葉に翻訳して実践する、という経験を積んでいく必要があります。それは学校ではわからない、経験値がものをいう部分。ポテンシャルのある子にはどんどん任せるようにしています。しかし、定職率はあまりよくなく長くて3年くらいですね。シンガポールのバンドには、2回存命の危機があると言われていますが、この業界も同様で、1回目は兵役、2回目は結婚なんです。兵役から戻ると、音楽活動ばかりやっていられない、という気持ちになる人が多く、また、不安定な業界というイメージがあるので、結婚を機に違う業界に転職することが少なくありません。才能も経験もあるのに、もったいないなと思いますね。私は、生きている限りは安定なんてないと思っていますけどね。

 映像作品の仕事の量は、景気にすごく左右されます。生活に必要不可欠なものではないので、優先順位が二の次にならざるをえないんです。仕事の量が激減した不景気の時には、文献を読みあさったり自分の技術を高める活動に時間を費やしていましたね。また、あえて普段は接点のない同業者に会い、製品やテクニックについての意見交換をしたりもしました。
 
 最近は、効果音ライブラリーサービスの会社に、これまで撮り貯めた音を提供したりしています。ヤモリの鳴き声やライオンダンス、道教の葬式など、シンガポールならではの音素材が山のようにあるんです。また、若手たちの短編作品はなるべく格安で手伝ったり、セミナーを行ったり、自分の経験を次の世代と共有する活動も意識的に増やすようにしています。

日本人のコミュニティを飛び出して、シンガポール人たちと知り合ってほしい

 シンガポールはつまらない、と言う人に話を聞くと、スンゲイ・ブロウにもハウパーヴィラにも行ったことがなかったりするんです。まだ見ていないところがたくさんあるのに、つまらないと口に出す人は、その人がつまらない人間なんじゃないかと思います。シンガポールは知れば知るほど面白いですよ。せっかくここに住んでいるのだから、日本人のコミュニティを飛び出して、シンガポール人たちと知り合いになってほしい。シンガポール人はあんまりお酒飲まないよね、と言われるのが不思議でしょうがないです。私のローカルの友達は飲む人ばかりですから。また、日本から来る人には、シンガポールの歴史、日本がシンガポールに対してしたことなどについて、是非事前に知識を持ってきてほしいですね。

 最近は、シンガポールにアジアのHQを構えている会社から、日本マーケット向けコンテンツ制作の発注も増えています。東南アジア市場に紹介したい商品・製品・サービスなどについて、日本語でヒアリングしローカライズのプランを提案できる強味も持っていますので、今後は当地に進出している日本企業ともどんどん仕事をさせていただきたいと思っています。昨年は、これまでで最も収益が高かったのですが、映画の仕事は少なかったんです。自分の情熱として映画の仕事は続けていきたいので、パートナーを説得しながらバランスを取っていきたいです。

日本の漫画家辰巳ヨシヒロを描いた『TATSUMI』が出品されたカンヌ国際映画祭にて(2011年)

オフィスに設置した音響スタジオで、ほぼすべての仕事の音響作業を一人で行う

Sam Loh監督作、『Lang Tong』で謎のブッチャー役で出演。「肌が白過ぎる」とメイクさんにドーランを塗ってもらっているところ

映画を通じてシンガポールの経済史・近代史を読み取る本

『シンガポールの光と影』(盛田茂・著、インターブックス)


 著者のDr.盛田が、10年間にわたって調査・取材したシンガポール映画界の全貌を描いた一冊です。映画を通じてシンガポールの経済史、近代史を明らかにしていくという、とても意欲的な本なんです。Dr.盛田とは、当地の映画業界人を通じて知り合い、彼のリサーチ活動を間近で見られたのも貴重な経験でした。シンガポールに溢れているアルファベット三文字の略語が一覧になっている点も素晴らしく、その分容赦なく多出しています。シンガポール人にもっと自国の映画を見てほしいという思いから、数年前に彼を招き、私がボランティアをしている日本人会の日本語を話す会で、シンガポール人向けに日本語でセミナーを行いました。その時の様子が、自社のYouTubeチャンネルにアップされていますので、是非ご覧ください。Dr.盛田の研究は、今もまだずっと続いています。


取材・文 小林亮子
日本の映画業界で約10年働き2006年から在星。ローカル学校に通う二人の子育てのかたわら、執筆・通訳翻訳業や、バイリンガル環境の子供たちに日本語を教える会社を経営

 
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