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2021.10.08

【現場読解】

シンガポールや日本を拠点にグローバルな舞台で活躍するリーダーたちが、人生やビジネスについての信念や情熱を語る!世界の未来を担う人たちにヒントをあたえてくれる「オススメの一冊」も紹介。

《第21回》

シンガポールダンスシアターに入団して 11年。現在ソリストとして活躍する中濱さんは、たおやかな見た目とおっとりとした語り口が印象的。その一方で、バレエに対する強い思いで逆境をはねのけてきた意志の強さも持ち合わせている。どのように夢を持ち、達成してきたかを聞いた。

中濱 瑛(ナカハマ アキラ)さん
在星歴約11年
東京都出身
尊敬する人/自分の夢を信じて海外に送りだしてくれた両親
モットー/昨日から学び、今日のために生き、明日に希望を持て
Instagrum:akiraxox

Singapore Dance Theatre
Web:singaporedancetheatre.com
Instagrum:singaporedancetheatre


3歳でバレエをスタート。夢はプロのバレリーナ

 私がバレエに出会ったのは 3 歳の頃でした。いろいろなお稽古ごとを見学した中で、一番惹かれたのがバレエだったのです。とは言っても、幼い子どもなので、きれいな衣装に憧れたというのが大きかったと思います。しかし、小学1年のころにはバレリーナになりたいという夢を明確に持つようになりました。

4歳のとき、初めての衣装、初めての発表会。この頃はかわいい衣装を着ることが楽しくてしょうがなかったです

 今は日本でもプロのバレエ団がいくつもありますが、当時はまだまだバレエだけで生活するのは難しい時代。フルタイムのバレエスクールもありません。そのため、プロのバレリーナになるには、海外のバレエスクールで学ぶ必要があると考えました。小学生でありながらも目標が定まると、そこに向けて一直線。まずは小学校高学年で短期留学をして、それを足がかりに、中学から本格的な留学を目指しました。

留学を認めてもらうために挑んだ小学生最後の発表会

 私の留学について、母は大賛成。一方、父は母ほど乗り気ではありませんでした。今にして思えば、小学校を卒業したばかりの娘を海外に送ることに対して不安があるのは当然です。しかし、私は賛成してもらって留学したかった。そこで、「発表会での私の本気を見てから、留学するかどうかパパが決めて!」といって小学生最後の発表会に臨みました。演目は忘れてしまいましたが、終演後、父に「感動した。頑張っておいで」と認めてもらうことができました。自分の道に対して真剣に取り組んでいることが伝わったのが、本当にうれしかったです。
 こうして、カナダのRoyal Winnipeg Ballet Schoolへ留学することができました。バレエのレッスンはハードでしたが、フランス語によるバレエ用語は全世界共通なので、言われたことを理解するのに時間はかかりませんでした。問題は現地校での勉強でした。英語を理解するのが大変なのに加えて、歴史や地理、気候、法律、生活様式などカナダに関する知識がないことで社会科や理科に大苦戦。勉強についていけないのが辛くて、一人でよく泣きました。

3歳から長年打ち込んだバレエ。卒業を前にまさかの出来事

 中学1年の夏から高校卒業までカナダで学び、間もなく卒業公演というときに、面談で先生から衝撃の言葉を伝えられました。「プロになるのは難しいと思う」と言われたのです。確かに私よりも身長が高く、スタイルが良い舞台映えする人は大勢います。大きなショックを受けるとともに、バレエを諦めないといけないのだろうかと悩む日々が続きました。
 答えが出ないまま、卒業公演に併せてカナダに来た母を含め、3人で再度面談をすることになりました。先生からあらためて「プロになることは難しい」と言われると、英語ができない母は「なぜ、卒業を間近に控えた今になって言うのか」と伝えるように私に言いました。母の気持ちもわかりましたが、私にとって母の言葉をそのまま伝えることは、先生の言葉を認めるようで、できませんでした。「これまでありがとうございました、と言っています」と英語で嘘の言葉を伝えて面談を終えました。

あらためて決断したバレエの道。そしてこれまでとは全く異なる環境へ

 違う言葉に訳をしていることに母は気づいていましたが、「この子は一人で大丈夫だと思った」とあとから言われました。ある意味で成長した姿を見せられたのかもしれません。
 先生の言葉は重く、バレエを諦めて日本の大学に行くことも考えました。しかし学部を選ぶにしてもバレエに代わるものが見つかりません。そんなときに、ゲストで来ていた先生からの推薦とビデオオーディションでワシントンDCにある Washington School of Ballet で研修ができることがわかりました。やはりプロのバレエダンサーに挑戦しよう! いつか活躍する姿を報告して先生を驚かせるぞ! そう思ってバレエを続ける道を選びました。
 Washington School of Balletでは、日々のレッスンに加え、ワシントンバレエ団の公演にも参加できました。生徒は初めての本公演出演でガチガチに緊張しているのに対して、プロのダンサーは舞台裏では上手にリラックスしています。こうした舞台裏での様子からも多くのことを学びました。
 さらに、Washington School of Balletの校長先生がシンガポール人だったことで、シンガポール・ダンス・シアター(略してSDT)に紹介状を書いてくださいました。そして無事に研修生として入団することができたのです。プロのダンサーになるのは難しいと言われた私がプロになった瞬間でした。2010年のことです。

いつも応援してくれる両親と。サーキットブレーカーに入る直前、「ロミオとジュリエット」で目標の 1 つだったジュリエットを演じたあとに撮影した1枚です

プロのバレエダンサーとなって10年。ダンスの幅を広げてきました

 シンガポールは小さな国というイメージでしたが、来てみてびっくり。空港からのハイウェイや街中のゆったりとした作り、緑が豊かできれいで安全。海外にもこんな国があるのかと驚きました。
 バレエの面では欧米との歴史の差は大きいのが現状です。しかし、音楽が録音からオーケストラの生演奏になったように、日々進歩を重ねています。一国の芸術面での成長を肌に感じられる場所にいて、一緒に進んでいくことに喜びとやりがいを感じます。
 私自身も研修生時代には、「瑛の踊りはきれいだけれど、それだけでは足りない。いろんな表情や動きができるようにならないといけない」と言われていました。SDTは様々な国の振付師を招き、クラシックバレエに加えてコンテンポラリーダンスの公演も行っています。どんな振付でも踊れるようになるには、得意分野に偏っ
ていてはだめなのです。
 自分の得意分野と違うテイストに出会うと「様にならなかったらどうしよう」と不安に思うこともありましたが、上手な人の踊りを見たりコツを聞いたりして、自分の幅を広げてきました。その後何年か経って同じ振付師から「瑛、前とは全然違うね!」と言われたときはうれしかったですね。

「くるみ割り人形」の 1 シーン。サーキットブレーカー後に練習を再開しても予定していた公演がキャンセルになるなどつらいときもあったので、舞台に戻ったときの喜びはひとしおでした
© くるみ割り人形 The Nutcracker. Photo by Bernie Ng

 セカンドソリストを経て、現在はソリストに。サーキットブレーカーでスタジオにも行けなかったときのことを考えると、主役に限らずいただいた役を舞台で踊ることができる。それが何よりもうれしいです。
 現在はガイドラインに従って定員数を減らしてはいますが、公演を再開しています。ぜひ私たちの舞台を見に来ていただけたらうれしいです。

オススメの一冊

「人生がときめく片付けの魔法」が世界40カ国で翻訳され、1200万部突破をしている「こんまり」こと近藤麻理恵さんとライス大学経営学教授による共著。仕事で使うデスクまわりやメールだけでなく、タスクや会議なども含めた片付け本。普段から本を読むのが好きで、いろいろな本を読みます。この本は、片付けの本ではありますが、クリエイティブな内容も含まれています。特に「アートやクリエイティブな仕事をされている方が、ときめくかどうかで残すものを決めていった結果、インスピレーションがわいて創作活動にも良い影響があった」という内容が印象に残っています。さらには理想の働き方を考えるきっかけになるなど、仕事をしている人に広くおすすめできる一冊です。


「Joy at Work 片付けでときめく働き方を手に入れる」(近藤麻理恵、スコット・ソネンシェイン著、河出書房新社)

(取材・文 平野多美恵)