2021.11.25
【現場読解】
シンガポールや日本を拠点にグローバルな舞台で活躍するリーダーたちが、人生やビジネスについての信念や情熱を語る!世界の未来を担う人たちにヒントをあたえてくれる「オススメの一冊」も紹介。
《第22回》
シンガポール在住20年を誇り、シンガポールで「栗原 Mee Pok」を4店舗持つ栗原直次さん。家電メーカーの経理担当者として来星した栗原さんがなぜコーヒーショップで地元に愛される Mee Pok 屋さんになったのか。その経緯を伺った。
栗原 直次(クリバラ ナオジ)さん
在星歴約20年
群馬県出身
尊敬する人/金川千尋氏(信越化学工業会長)
モットー/なし
Facebook:@liyuanmeepok
Instagram:liyuan_meepok
サラリーマンとして働きながら家族とイカ焼きの店をオープン
学生のころから日本で友人のラーメン店を手伝っていたことがあり、会社を辞めて自分の店を持つことも考えましたが、タイミングが合わず日本で実現することはありませんでした。まさかその夢がシンガポールで叶うとは、思ってもいませんでした。
家電メーカーの経理担当として妻と長男、長女とともに2001年にシンガポールに赴任しました。任期は3年の予定でしたが、1年、また1年と延長。翌年、いよいよ家族は帰国、私は別の国への転勤が決まりました。ところが、中学からインターナショナルスクールに通っていた長男はシンガポールに残りたい。そこで、転職してシンガポールに残ることにしました。
仕事をしたいという妻の希望もあったので、転職を期に会社を立ち上げ、イカ焼きの商売を始めました。私は会社勤めと並行して経理を担当。妻が現場担当で、最初はショッピングモールの催事スペースで出店。その後、ショッピングセンター内に店をオープンさせました。経営はまずまずでしたが、イカ焼きとたこ焼きではビジネスを伸ばすのは難しい。店舗の契約があと1年残っているのでどうしようかと考えていたときに、興味を持った知り合いがいたので、彼に任せることにして日本食へと業態を変えて店を継続させることにしました。ただ、客足は順調でしたが、単価と回転率を考えてそれ以降の契約延長はしませんでした。
弁当販売をきっかけに脱サラ。和食店の店主に
店は閉めましたが調理設備はあります。何かできないかと考えていたときに、日本人中学校のお弁当販売の話が来ました。用意する弁当は50食から100食ほど。全食手作りして学校まで運び販売するのはなかなか大変な作業です。そこで、それまで勤めていた会社を辞め、飲食業に専念することにしました。これが2011年のことです。
店舗を見つけ、厨房設備を設置。カツ丼やカレー、ラーメンなどの和食店と中学校の弁当販売をスタートしました。ウエスト・コーストのコーヒーショップへの移転を経て、次第に繁盛するようになりました。子どもたちも学校を卒業していたので、家族総出で店を手伝ってもらいました。
コーヒーショップでは、他のストールの人たちとの交流もありました。特に隣のMee Pok屋さんの店主とは同い年ということがわかり意気投合。それぞれのまかないを食べ比べするなど、非常に仲良くなりました。
Mee Pok店で修行し、日本での出店を目指す
家族の助けで余裕ができた私は、隣の店主に頼んでMee Pokを修得することにしました。無給ながらも3カ月間の修行で、レシピも教えてくれるというのだからありがたい!和食と比べるとMee Pokの調理は非常に豪快。リズムよく作っていく姿は小気味よくもあります。和食店は家族に任せ、2カ月間Mee Pokづくりに没頭。残りの1カ月は普段は閉めている夜の時間帯に店舗を借りて営業させてもらうことにしました。「夜も開けたの?」「なんで日本人が作っているの?」と興味津々でお客さんが来て、私の作ったMee Pokを食べていってくれました。
修行後、その店主と共同で日本でもMee Pokの店を出そうという話が持ち上がり、店舗探しをはじめました。ところが、なかなかうまくいきません。スーパーのフードコートを考えていましたが、日本での実績を求められてしまいます。
それから数カ月後、日本で店舗探しを続けていた私にその店主から「店を辞めるから引き継がないか」と連絡が来ました。急なことで驚きましたが、家族に相談すると「面白いんじゃないの? やってみたら」と背中を押してくれました。
1時間並ばないと食べられない人気店に
シンガポールに戻って2014年11月に店舗を引き継ぐと、日本人がMee Pokの店をやっているということで、メディアが取材に来てくれました。この記事で知名度があがり、和食店に手が回らない状況に陥りました。ちょうど他にも中学校でお弁当を販売したいという会社が現れたので、お弁当販売は辞退し、和食店も閉めてMee Pok一本にしぼりました。
日本食のお店を閉めて良かったのが、商品開発の時間ができたことです。ラーメン店で得た技術を応用して、味噌や醤油といったフュージョンのMee Pokを開発しました。他にはないオリジナルのMee Pokは、The Straits Timesの一面でも取り上げられ大評判。日本人の10代の娘が手伝っていることも話題となり、1時間ほど並ばないと食べられない人気店となりました。
メディアで取り上げられたことで、新しいビジネスの話も持ち込まれるようになりました。そのひとつがコーヒーショップの経営です。これには悩みました。コーヒーショップやホーカーではオーナーやストールの店主同士中国語で話していますが、私は中国語ができないからです。
そこで、Mee Pokの経営に興味を示していたシンガポール人の元同僚に、コーヒーショップの運営を一緒にやらないか、と相談してみました。すると2つ返事で「やる!」というのです。彼女は中国語も英語も日本語もペラペラ。心強いパートナーを得て、9つのストールが入るコーヒーショップを会社ごと買い取りました。同じ頃、家族が日本に帰国することになったため、Mee Pokの店舗を暖簾分けという形で別の人に任せて、私は日本とシンガポールを行き来しながらコーヒーショップを運営することにしました。
新店舗を続々オープン
そんなときに起きたのが新型コロナ感染症の大流行です。サーキット・ブレーカーで、コーヒーショップから退店する店が出るのではないかと心配しましたが、幸いなことにすべての店舗が残ってくれました。
まだまだ不安定な状況は続きますが、今年はMee Pokの店舗拡大を図っています。6月のBoon Lay店、9月のBedok Reservoir店に続いて、11月にはCommonwealthとHougangで新店舗がオープンしました。また、ハワイやカンボジアでの出店計画もあり、各国のパートナーと力を合わせて進めています。
こうして、シンガポールに来たときには想像もつかなかった道を歩んでいますが、会社で経理を担当していたことが非常に役立っています。どんな業種でも経営管理は欠かせません。今後自分のお店を持ちたいと思っている方がいらしたら、経理の勉強をしておくことをおすすめしたいですね。
オススメの一冊
シンガポールで転職した信越化学工業の会長である金川千尋氏。商社から信越化学工業に転職し、子会社であるシンテックを世界一の塩ビメーカーに育て上げたほか、デフレ下で、13期連続最高益という記録を残し、カリスマ経営者と評されました。会社を経営していると、良いときも悪いときもあります。一般的には儲かったときにはどんどん投資して、事業を大きくしていきたいと考えるものですが、金川氏は儲かっていたとしても無駄な投資はしない。少数精鋭主義で、無駄を徹底的に排除。非常に堅実な経営が世界から注目される会社を作りあげたのでしょう。
「危機にこそ経営者は戦わなければならない」
(金川千尋著、東洋経済新報社)
(取材・文 平野多美恵)