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2021.06.30

【現場読解】

シンガポールや日本を拠点にグローバルな舞台で活躍するリーダーたちが、人生やビジネスについての信念や情熱を語る!世界の未来を担う人たちにヒントをあたえてくれる「オススメの一冊」も紹介。

《第19回》

シンガポールが4回目の海外赴任となる堀江さんは、これまで幾多もの国
や地域で難題に取り組み、その度に人々のニコンへの情熱に触れてきた。
そんな彼の口から頻繁に飛び出すのが、行動とチームワークという言葉だ。人間関係にとって根源的に大切なものが何か、有言実行のビジネスマンの軌跡が伝えてくれる。

堀江 正浩さん
在星歴約2年
1968年東京都出身
学習院大学卒業
尊敬するリーダー/英国販社駐在時代の上司(MD)
モットー/笑顔と挨拶で道は開ける(万国共通)


留学先で出会ったジョセフくんが教えてくれた、ニコンの素晴らしさ

 就職活動真っ只中だった大学四年の春、ある朝突然、「このままじゃいかん。就活は辞めよう」と思い立ちました。漠然と当たり前のように就活を行っていましたが、「これがやりたい」という強い思いが何もないことに気づいたんです。両親に大学を一年休学することを許可してもらい、半年バイトして資金を貯め、シドニーに語学留学しました。ホームステイ先で出会ったジョセフというスイス人が、「マサ、このカメラ知ってるか。これはすごいんだ」と、手にしていたニコンカメラの素晴らしさを毎晩のように熱く語ってくれたんです。こんなに人の心を動かす日本のブランドがあることに感動し、帰国後ニコンの入社試験を受けました。それがこの会社との出会いです。

苦難を経て、現場とチームメンバーへの気配りの大切さを学んだ、イギリス駐在時代

英国駐在時代、当初の苦悩の時間を、頭の整理の為に何度も訪れたという Richmond Hill 景色。この草っぱらから、ぼーっと牛とテムズ川を眺めたそう

 カメラ貿易部に配属され、入社四年目27歳の時、ロンドンに駐在となりました。8年駐在した大ベテランの後任だったこともあり、現地スタッフたちにまったく相手にされない状況が1年ほど続きました。何を言っても聞いてもらえず、手応えを感じない状況を打破するため、郊外周辺まで足を伸ばし、複数の店舗を定期的に巡って販売員たちに直接会って話を聞きました。自分で見聞きしたことを社内で共有するうちに、次第にチームメンバーに受け入れられるようになっていきました。
 当時のMDが実に素晴らしい人だったんです。出荷が集中する多忙な時期に倉庫のスタッフ一人ひとりにケーキを届けてお礼を述べるなど、全スタッフの気持ちを何より大切にしていました。上に対しても言うべきことを言う力強さと懐の深さを備えている方で、現場やチームメンバー全員への気配りの大切さを教わりました。

COOLPIX をメジャーブランドへ、チームワークの成果

 5年のロンドン駐在後、ヨーロッパ本社のオランダにスライド異動となり、規模の異なる市場で多くを学びました。代理店のスタッフたちと熱い議論を交わしたり、オフの時には胸襟を開いて飲み交わすなど、皆のブランドへの情熱に触れ、会社の魅力を改めて実感し、さらに広い視野が培われたと思います。
 2005年に帰任となり、コンパクトデジタルカメラCOOLPIXの商品企画を担当しました。デザイナー・開発・設計のスタッフ五人ほどでチームを組み、当時市場にて存在感薄かったCOOLPIXをメジャーブランドへ、を旗印とし、どうやったらユーザーの方々に喜んでもらえるかをとことん突き詰めていきましたね。2006年にリリースしたL4モデルは、パッケージを開けた瞬間から 1,000枚写真を撮れる、旅行でも安心のデジカメでした。撮影者の撮りたい瞬間を逃さず、何時でも携行できる世界最小最速を目指した 2007年のS500の開発時には、0.1 mmでも薄くできないかとレンズ設計者のデスクに2カ月程毎日入り浸っていました。結果的にヒット製品の一つとなり、その後の派生機種などラインナップ充実化も合わせ、チームで掲げた目標を達成することができました。この時期は、とにかくがむしゃらに突き進み、チームで同じ思いを持って挑戦すれば絶対に成し遂げられると実感した期間でした。

全米のダイナミックな市場にどっぷり浸かり、販売・マーケティング戦略を展開

 2010年からニューヨークに6年赴任し、当初3年間はブランドが浸透していなかった中南米を担当しました。ユーザーの方々の気持ちに寄り添う思いを込めた、欧州で開始した「I AM NIKON」というブランディングキャンペーンを展開、ブラジルでは1%以下のシェアを20%超えまで引き上げることに成功しました。また、当時はデジカメ最盛期で、米国の感謝祭翌日のブラックフライデーでは、大手販売店のカタログのトップに紹介された目玉商品は初日で数十万台売れました。NY メッツとスポンサー契約を結び、ホーム球場のシティ・フィールドのメイン枠でブランド広告掲示するなど、桁違いにダイナミックな販売・マーケティング戦略を経験しました。また、高姿勢な態度の担当官が多いJFKのイミグレーションで、「 I work for Nikon.」と言うと、突然笑顔になって自分や家族も使っているよと話してくれるなど、ブランドの浸透度を実感しました。

米国駐在時代、機会を頂いた Fenway Park(Boston Red Sox本拠地)での始球式にて。野球の聖地にて貴重な経験となった

合弁会社のCOOから一転、シンガポールMDへ転任

2016年に帰任後コーポレートブランド部署に配属になり、ニコンが映像事業だけでなく人々の生活を豊かにする様々な事業の複合体であるという、会社のブランド認知度・価値を高める業務を担当しました。これまでとは異なる業務がものすごく楽しかったのですが、翌年ある意味志半ばにて、メガネレンズにて世界NO.1の仏エシロール社との合弁会社であるニコン・エシロール社にCOOとして出向となりました。あまり意思疎通がされていなかった現場の雰囲気を改善するべく、エシロール社より出向のCEOととことんコミュニケーションを取り、会社のビジョン・ミッション・カルチャーを固めることから着手しました。2年間という短い期間でしたが、エシロール社流の様々な経営スタイルを学んだ充実の時間でした。そして、2019年夏、現ポジションへの赴任となりました。

いい意味で成熟しきっていないシンガポールの若いチームが秘めるポテンシャル

 現在シンガポールオフィスでは、アセアン・オセアニア・インド・中東・アフリカという広範なエリアを統括しています。社員は日本人とシンガポール人、マレーシア人等スタッフが総勢100名、皆やる気と情熱に溢れブランドへの強い思い入れを持っています。いい意味でまだ成熟しきっておらず、一致団結してゴールを目指せば大きな成果をもたらすポテンシャルを秘めています。当社はCustomer Centric(顧客中心主義)がモットーですが、私にとっての Customer はまずはチームメンバーであり、彼らのエンゲージメントを高める事が使命です。着任後すぐ、一人ひとりと対話の場を設け、スタッフたちの思いや問題意識などを共有してもらったことは、とても大切なプロセスでした。

シンガポールでのオフの時間に、欠かす事のできないソフトボールの最高の仲間たちと。「チームの皆には本当に助けられており、心から感謝です!」

 ほどなくコロナウイルスが発生し、管轄の各国の現場に出向けなくなったことで、予想外の業務調節を余儀なくされました。観光業の低迷により売上も打撃を受けましたが、今年に入り好転している地域もあり、全体的に上昇基調です。リモートでもゴールと立ち位置の共有を徹底しながら、何よりも現場を信じることが肝要だと思っています。

リーダーに必要なのは統率力と調整力

 海外赴任、異動、ポジションの変化など通じて、チームメンバーを巻き込み、組織として力を発揮することの大切さを実感しています。適切にチームをまとめていくためには、まずメンバーのことをよく知り適材適所を見極める必要があります。チームを司る役割に必要な資質は、統率力に加え、調整力だと思っています。調整の仕方は千差万別ですが、私はコミュニケーションを取ってある程度の納得感を持って臨んでもらえることに、全力を尽くしています。元来、チームプレイが好きなんだと思います。チームで生み出せる結果の大きさと価値を信じています。

海外進出を目指す人々に伝えたい、NO NATOのモットー

 海外に出ることに少しでも興味を持っていたら、まず思ったことを行動に変えてみることが大事ですね。そうすれば、色々なことが見えてきます。若いうちならなおさら修正力があるはずなので、失敗してもいいんです。私はスタッフたちに、NO NATO を信条にしてほしいといつも伝えています。“No to No Action Talk Only” の略で、とにかく行動の大切さを信じています。オススメの一冊に選んだ上杉鷹山が武田信玄の言葉を模範にした訓戒、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」と言っている通り、何かを成し遂げるためにはまず行動し、諦めずに達成させる強い意志を持つことが重要、だと信じています。

オススメの一冊
 社内のリーダーシップ研修で、まずはこの本を読むように言われたのが出会いでした。江戸中期に、17歳で九州から米沢藩に養子に出され藩士となった上杉治憲が、危機にあった藩政を立て直し、領民たちのために改革を起こした様が描かれた本です。故ジョン・F・ケネディが、最も尊敬する日本人に挙げたことでも知られています。類い稀なリーダーシップとマネジメント力の持ち主で、まず財政立て直しのためにチームを作り人材を適材適所に配し、旧態依然としていた体制を変えていきました。彼の功績や生き様を通して、信頼する、行動で示す、ブレない考え方を持つ大切さを改めて教わりました。


『小説上杉鷹山』
(童門冬二・著、集英社文庫)

(取材・文 小林亮子)