2016.06.20
『AMDA International』代表
アジア、アフリカ、中南米において、紛争や自然災害、貧困などに苦しむ人々への医療救援と生活状態改善のための支援を実施している、日本生まれの国際医療ボランティアNGO 法人『AMDA(Association of Medical Doctors of Asia アジア医師連絡協議会)』。現在、世界各地に31 の支部と37 の協力組織のネットワークがあり、この度シンガポールにも活動の拠点となる『AMDA インターナショナルピースクリニック』を開設した。同団体の活動を支えてきたのは、設立以来30 年以上にわたって代表を務める菅波茂医師の医療ボランティアにかける強い想いだった。
Shigeru Suganami, MD, PhD
1946 年生まれ。広島県出身。岡山大学医学部を卒業後、1984 年に国際医療ボランティアNGO『AMDA』を設立、その後『AMDA International』を形成して現在まで代表を務めるとともに、東京大学・京都大学・大阪大学の各医学部非常勤講師、岡山大学医学部臨床教授などを歴任。長年にわたる国際的人道支援活動に対し、日本国外務省、同厚生労働省、国連などから表彰されているほか、マハトマ・ガンジー人道支援賞、沖縄平和賞など受賞多数。
善意だけで国際医療支援はできない
菅波医師が国際医療支援活動を志したのは、学生時代にアジア各国を旅した経験がきっかけだった。1960年代末の日本を席巻していた学園紛争によって、大学の授業が休止してしまったため、菅波青年はアジア各国を巡る旅に出ることを決意した。
日本から船でシンガポールに入り、そこからマレーシア、タイ、ビルマ(現ミャンマー)、インド、パキスタン、アフガニスタン、イラン、クウェート、カンボジアなどを8カ月かけてまわった。国際医療支援活動の現場で研修をしたほか、自身も各地で体調を崩して治療を施されるなど、アジアの医療に直接触れたことで、医療による国際貢献に携わりたいと考えるようになった。
しかし、善意だけでは国際医療支援活動はできなかった。菅波医師には苦い思い出がある。1979年にカンボジア内戦により大量の難民が発生した際、菅波医師は医学生たちと一緒に現地へ飛んだが、ようやくたどりついた難民キャンプで「実績のない団体は相手にしない」と門前払いを受けてしまったのだ。現地の情報を収集したり、活動の受け皿となる組織の重要性を痛感した菅波医師は、アジア各地の医学生たちとの友好関係を深めていき、1984年に国際医療ボランティア組織『AMDA』を設立した。
AMDAにおける菅波医師の役割は、最前線で探したり、活動資金を集めたり、派遣した医師たちを安全に帰還させるなど、いわば「後方支援」と呼べる位置づけだ。
「AMDAの活動に加わってくれる人が100人いれば、そのうちの99人までは現地に行くことを希望します。最前線の活動では多くの方に『ありがとう』と言っていただけますが、後方の本部にいては誰もそんなことを言ってくれません(苦笑)。企業などに活動資金の援助をお願いしたら、塩をまかれて追い返されることもあります。しかし、3年前にクアラルンプールに事務所を作ってからは、私自身もあちこち援助に出掛けることがの医療活動ではなく、派遣場所での受け入れ先を探したり、活動資金を集めたり、派遣した医師たちを安全に帰還させるなど、いわば「後方支援」と呼べる位置づけだ。
「AMDAの活動に加わってくれる人が100人いれば、そのうちの99人までは現地に行くことを希望します。最前線の活動では多くの方に『ありがとう』と言っていただけますが、後方の本部にいては誰もそんなことを言ってくれません(苦笑)。企業などに活動資金の援助をお願いしたら、塩をまかれて追い返されることもあります。しかし、3年前にクアラルンプールに事務所を作ってからは、私自身もあちこち援助に出掛けることが増えたのでとても嬉しいですね(笑)」
「困った時はお互い様」の精神が世界平和達成への第一歩となる
AMDAの活動を語るうえで欠かせないキーワードが、菅波医師が提唱している「オープン相互扶助」という考えだ。
「日本にも『困った時はお互い様』という言葉があるように、『相互扶助』という考え方は、世界中どこにでも存在します。しかし、これまで互いに助け合う範囲は、自分の家族、部族、共同体、宗教といった枠に限られていました。そこで考えたのが、それらの枠を取り払った『オープン相互扶助』というコンセプトです」
「オープン相互扶助」は、3つの原則によって支えられている。誰でも他人の役に立ちたいという気持ちがある。この気持ちの前には、国境、民族、宗教、文化等の壁はない。 援助を受ける側にもプライドがある。
AMDAではこの3つの原則を、国際人道援助活動における成功の鍵と捉えている。2006年にインドネシアの古都ジョグジャカルタで大規模な地震が発生した際、AMDAは緊急救援活動を行い、その1年後には日本医師会の資金援助を受けて現地にヘルスセンターを再建 した。その開所式の記念スピーチで、菅波医師が「今回は私たちが援助をさせてもらいましたが、次に日本が災害で困ったときにはぜひ助けに来てください」と語ったところ、出席していたジョグジャカルタの知事から驚きと喜びのこもった返答を受けたという。
「これまでに世界中から多くの人々が援助に来てくれたが、自分たちが困ったら助けに来てほしいと言ったのはあなたたちが初めてだ。私たちを頼りにしてくれたことがとても嬉しい」
援助とは「施しを与える」ことではなく、困難に直面したときに互いに助け合う活動であるべきだ――。この「オープン相互扶助」の精神で、国外からの援助に扉を閉ざしていたロシアや中国といった国々でも、AMDAは活動を行うことに成功してきた。
「援助を受ける側のプライドに配慮するような説明がなければ、現地で救援活動を行うことはできません。困っているだろうから来てあげた、というのでは相手のプライドが立ちません。『オープン相互扶助』は、援助を受ける側も満足できるコンセプトなのです。そして互いに助け合っているうちに、自分にないものを相手が持っていることがわかり、互いに尊敬し合えるようになります。
やがてそこには信頼が生まれ、多様性の共存が可能になります。相互扶助から生まれる共存共栄、これこそが世界平和への第一歩なのです。『オープン相互扶助』の精神を世界中に広めていくことが、自分たちの使命だと考えています」
来るべき巨大災害の備えとして日本と海外の間に「補助線」を引く
現在、菅波医師が力を入れている活動の1つに、近い将来の発生が危惧されている南海トラフ巨大地震への対策がある。同地震が発生すると、四国、近畿、東海地方の沿岸地帯を中心に大きな被害が出ることが懸念されており、日本政府の試算では
最悪の場合33万人もの死者が出る可能性があるとされている。東日本大震災でも死者・行方不明者は約1万8000人。その20倍近い被害が発生すれば、日本国内の医療スタッフだけでは対応できないことは明らかだ。さらに日本の物流の大動脈である東海地方の太平洋沿岸地域が被災すれば、食料や医薬品などの救援物資が被災地に届かなくなることも予想される。この未曾有の非常事態に備えて、日本と海外の間に「補助線」を引いておかなければならないと菅波医師は強調する。
「海外からの支援を受ける際、日本国外にも拠点があれば、ボランティアや援助物資の受け入れなどをよりスムーズに行うことができます。東南アジアのハブであり、医療レベルも高いシンガポールは、拠点を作るのに理想的な場所の1つです」
この度、ウィーロックプレイスに開設された『AMDAインターナショナルピースクリニック』は、国籍の隔てなく患者の診療にあたるだけでなく、世界中で医療活動を行う際の拠点となること、さらには高齢者の介護医療問題に貢献することも期待されている。
「AMDAシンガポールは、国民所得世界一のシンガポールと平均寿命世界一の日本が手を組むことを意味しています。シンガポールには世界で通用する様々なビジネスモデルがある一方、日本は介護医療の分野でノウハウを蓄積しています。
数十年後には東南アジアでも高齢化が問題になることが予測されており、介護医療におけるAMDことが予測されており、介護医療におけるAMDAシンガポールの将来性は高いと考えています」
『AMDAインターナショナルピースクリニックでは、世界各地のAMDAの拠点と連携を取って緊急医療支援を実施するだけでなく、現地との医療技術の交流や患者さんの受け入れを行っていく予定です。もちろんシンガポールに在住されている日本人の方々にも信頼いただけるクリニックでありたいと考えています。日本へ帰国される際には、日本の医療機関を紹介するなど、万全の状態で患者さんの診療にあたりますので、ぜひAMDAインターナショナルピースクリニックを信頼して受診に来てください」
(インタビュアー:安藤浩久)
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