• JPLUSインタビュー
  • 観光・レジャー

2016.11.21

img_9758

中上 貴晶さん
Takaaki Nakagami 1992 年2 月9 日生まれ、千葉県出身。幼少時からポケバイやミニバイクの全国大会で活 躍して注目を集める。14 歳から海外のレースに参加し、16 歳で世界選手権にフル参戦。 2013 年のMoto2 開幕戦で初表彰台を飾ると、翌年IDEMITSU Honda Team Asia に移籍。今年6 月のオランダGP ではMoto2 初優勝を飾るなど、今最も将来を嘱望されている日本 人ライダー。


2輪レースの世界最高峰MotoGPの1 つ下のクラスにあたるMoto2に参戦して いる中上貴晶選手。今年6月のオランダGPで日本人ライダーでは3人目となるMoto2優勝を 飾り、将来はMotoGPでの活躍も期待されて いる日本バイク界期待のライダーだ。幼少時から 数々の最年少記録を打ち立てて、「天才バイク少年」 と騒がれた中上選手だが、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかった。

moto2_photogallery_058_big

最下位に終わった人生初レースが 天才少年の負けず嫌いに火をつけた
中上選手がバイクに乗り始めたきっかけは、 モータースポーツが好きだった両親から4歳の誕生日にポケバイをプレゼントされたことだった。 天才少年は初めてポケバイに乗った時から抜群の才能を示した――とはいかなかったという。

「両親が言うには、初めてポケバイに乗った時は  『この子にはセンスがない』と思ったほどダメだっ たそうです(笑)。速く走りたいというよりも、 遊び感覚でサーキットをただぐるぐると回っていました」

初めてレースに出場したのは5歳の時。結果は 最下位だった。しかし、それが幼かった中上少年 の心に火をつけることになった。 「ビリだったのが相当悔しかったのか、『また乗り たい』と言ったそうです。それからは毎日ポケバ イの練習をするようになりました。半年後のレー スで優勝することができて、もっと勝ちたい、もっ と速く走りたいと強く願うようになって、練習の 時間がさらに増えました」

小学生になるとミニバイクの全国大会に最年少で出場して優勝。 12 歳からロードレースを始めると、翌年には全日本ロードレース選手権GP125クラスにスポット参戦して新人王に輝き、 14 歳の時には同クラスで6戦6勝の完全優勝を史 上最年少で記録する快挙を成し遂げた。さらに同年にはスペインのレースに参加し、16 歳でロード レース世界選手権 125ccクラスにフル参戦するなど、トップライダーへの階段を猛スピードで駆け上がっていった。

18 歳で味わった人生最大の挫折
順調に見えたトップライダーへの道のりだったが、世界選手権では思うように結果を残すことが できず、わずか2年間でシートを失うことになっ た。それまでに世界選手権の舞台を離れてから、その後シートを再び獲得した日本人ライダーは存在しなかった。このまま世界の舞台に戻れること はできないのか。中上選手にとって人生で初めての、そして最大の挫折だった。

「放り出されるようにシートを失ったことはとて も辛かったです。しかし、2年間で結果を残すこ とができなかったのは事実。そのことをしっかり と受け止めて、必ずあの場所に戻るんだという前向きな気持ちになれました」

日本のレースに戻って2年目となった 2011 年には、参戦した大会のすべてで予選と決勝の両 方を1位でフィニッシュする圧倒的な強さを見せ つけてシリーズチャンピオンを獲得。Moto2にもスポット参戦してパフォーマンスの高さを認 められたことで、翌年からのフル参戦を手にした。「本音を言うと1年で戻るつもりでしたが、復帰 が決まった時はとても嬉しかったですね。やっと 戻れたという気持ちもありましたし、この世界でずっと戦っていきたいという気持ちになりまし た。その決意は今も変わりません」

2014年にはアジア出身の才能あるライダー のサポートを目的に設立された「IDEMITSU Honda Team Asia」に移籍。日本人スタッフが中心になっ て運営されているチームに移籍したことで、レー スに 100%集中できる環境を手に入れた。

moto2_photogallery_048_big

全幅の信頼を置くチームのサポートで世界選手権111戦目で念願の初優勝を飾る
移籍後3年目の今季は、中上選手にとって大き な飛躍の年となった。6月のスペインGPで表彰 台に上ると、次のオランダGPでは雨の中のレー スでMoto2初優勝を飾った。中上選手が世界選手権に挑戦してから 111戦目にあたるレー スだった。

「数字だけを聞くと、ものすごく時間がかかったなというのが実感です。これまでにも勝てるチャンスは何度かありましたが、実際には2位や3位で終わっていた。苦しい時期も正直ありましたが、ようやく初優勝できたというのが最初に感じたことです」

母国への凱旋となった 10 月の日本GPでは、多く のファンが中上選手の活躍を見るために会場のツインリンクもてぎに詰めかけ、スタンドには中上選手を応援する旗や日の丸が数多くはためいていた。「オランダGPで初優勝した後はずっと上位に安定していたので、日本のメディアやファンの方た ちから『優勝する姿を見に行きます』とたくさん言っていただきました。それまで日本GPは自分 の成績を上げるきっかけとして重要な場所だったのですが、今年は結果を残すことが求められました。あそこまで期待されて迎えた日本GPはこれ までありませんでしたし、正直これまで以上にプ レッシャーを感じましたが、絶対に結果で恩返しをしたいという思いでレースに臨みました。

予選は7番手で終わったものの、決勝では序盤 から一気に順位を上げて2周目で3位に浮上。その後、最終ラップまで熾烈な3位争いを繰り広げ、 0・2秒差で惜しくも表彰台は逃したが、手に汗握る戦いは日本のファンを大いに沸かせた。「あの最終ラップは、これまでのレース人生で一 番のデッドヒートでした。途中で接触もありまし たが、(相手選手と)お互いにリスペクトしあっ ていたので、激しくてもフェアな戦いをすること ができました。表彰台を逃したのは悔しかったですが、最高のバトルができたのはとても良かった。 来年こそは日本GPで優勝したいという気持ちが 一層強くなりました」

最終レースのバレンシアGP( 11 月 13 日)を残し た時点で、総合順位は過去最高の7位。初優勝のオランダGPを含めて表彰台にも4度上がっている。 今季結果を残せている要因は何なのだろうか。

「今年はその質問をされることが本当に多いですね(笑)。一番はチーム力がものすごく高いこと だと思います。今年からチーフメカニックが変 わったことで、安定して成績を出すことができるようになりました。これまではバイクのセッティ ングを自分で考えることもありましたが、あまり成績につなげられなかった。いまはメカニックを 100%信頼しているので、自分自身は深く考え ずにリラックスして、与えられたバイクを速く、そして楽しく走らせることに専念できている。それが好成績につながっているのだと思います」

img_9704

メンタル面にさらなる磨きをかけて 2輪最高峰のMotoGPを目指す
子どもの時からバイク中心の生活を続けてきた中上選手。バイクの何が彼をそこまで惹きつけるのだろうか。

「バイクは自分一人ではできないスポーツ。もちろんレースが始まれば自分との戦いになりますが、結果を出すにはチーム力がとても大切です。 チームに走れる状態に作ってもらい、自分がレー スで結果を出すことで恩返しをする。レースに勝った時に、ファンの皆さんやチームスタッフ、 家族、スポンサーの方々が自分よりも喜んでくれ るのが、バイクを続けられる理由です」

極限のスピードで競い合うモーターレースは、 危険と隣り合わせのスポーツだ。4輪レースのF1などでは近年安全性が向上しているが、生身の人間がマシンにまたがっているだけのバイクでは 安全性を高めるのにも限界がある。過去にもレー ス中の死亡事故が度々起こっており、2010年 には中上選手の子どもの頃からのライバルだった富沢祥也選手が、Moto2サンマリノGPで起 こった事故で帰らぬ人となった。中上選手自身もレース中の転倒などで幾度も負傷しているが、バイクに乗っていて怖さを感じたことは「一度もない」と即答する。「バイクが死とつながるスポーツであることは自分も、そして家族も理解しています。ただ、走っ ているときは、そんなことは一切考えません。バイクに対して怖いと感じることがあったら、それはレースを辞める時だと思っています。それはポケバイに乗っていた頃から変わりません」

最後にライダーとして成功するために一番必要なことを聞いたところ、「一番はメンタル面」と いう答えが返ってきた。

「ライダースキルはもちろん大事ですが、トップ争いをしているライダーの間では正直そこまで技 術的に大きな差はありません。一番の違いは勝利 に対する貪欲さといったメンタル面だと思います。それが最後の最後に結果となって表れてくる。 チャンピオンになるためには、ライダースキル以外にどれだけ強い精神を持っているかがカギにな ります。自分にそこが足りていないのはわかっているので、まだ時間は掛かると思いますが、少しでも早く自分が納得できるようなメンタルの強さを手に入れて、いずれは2輪最高峰のMotoGPで日本人初のチャンピオンになりたいです」

(インタビュアー・安藤浩久)