2017.02.23
オリジナルの動物占いが生まれた背景を語る
97 年4 月に「個性心理學」を開発した弦本將裕(つるもと まさひろ)氏。世界ではじめて、誕生日から人の個性を12 種類の動物にあてはめ、さらに60 種類のキャラクターに分類したこの「個性心理學」は「キャラナビ」とも呼ばれ、i モードの普及とともに爆発的な人気を博した。著書の数は50 冊を超え、いまや世界14 カ国で広がっている。しかし、度重なる臨死体験に極貧生活、一家離散の危機と、その道のりは決して平坦なものではなかった。すべては「人生をエンジョイし、社会貢献する」という己の使命のため――。弦本氏の、その波乱万丈な人生とは。
弦本 將裕 Masahiro Tsurumoto
1957 年4 月29 日生まれ、東京都出身。個性心理學研究所所長。一般社団法人個性心理學研究所総本部の理事長も務める。個性心理學上のキャラクターは「磨き上げられたたぬき」。幼少時から不思議な体験を繰り返し、自身の使命に目覚める。81 年学習院大学法学部政治学科卒業(社会心理学専攻)。大手生命保険会社勤務などを経て97 年同研究所を設立。『血液型別動物キャラナビ』など著書多数。
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幼少期から度重なる不思議な体験「あちら側」の世界で知った己の使命
占いやスピリチュアルな世界とは無縁の家庭に生まれ育ったという弦本將裕氏。しかし、幼少期から自分にだけ、不思議な体験が次々と起こったという。それは、度重なる臨死体験。最初は4歳の頃だった。
「活発だったのでそこら辺を遊び回っていたのでしょう。近所の崖から落ちてしまい、即死状態だったそうです。奇跡的に助かりましたが、まるで光の花のなかに浮いているような、幸せな経験をしたことだけはよく覚えています。 何しろ小さな子どもだったので、当時は自分の身に何が起きたのかよくわかりませんでしたが、その後も臨死体験を繰り返したことで、〝あちら側〟の世界があることがわかったんです。4歳の次は高校生のときに、授業中に突然心肺停止状態になって。その次は大学生で、やはり突然海難事故に巻き込まれてのことでした」
その頃になると記憶も鮮明で、氏が〝あちら側〟と呼ぶ世界では、まるで閻魔大王のような審判員が7人いたという。そして、1人1週間、合計四十九日にわたる尋問が行われた。
「いろいろ言葉を変えながら尋問を受けるので すが、結局のところ聞かれることはただ2つ。『自分で選んで生まれてきた人生をエンジョイしたのか』、そして『社会貢献はしたのか』ということでした。何度も死にかけながら私が生き返ったのは、その使命に早く気づきなさいという、天の意志だったのかもしれません」
この不思議な経験を経て、弦本氏は大学卒業後、大手生命保険会社に入社する。
「人の生き死にに強い興味があったことと、『ひとりは万人のために、万人はひとりのために』という保険のシステムに興味を持ったからです」
その間、上司を介して知り合った女性と結婚。一児にも恵まれ、横浜に一戸建ても構え、順風満帆な人生を歩んできた。しかし 10 年後、その安定した生活から、自ら脱却する。アイデアマンだった弦本氏は、中小企業の従業員にも、大手なみの福利厚生を支給する会社、株式会社「福利厚生課」を設立したのだ。
「若くして独立した経営者に話を聞くと、みんな楽しそうだったんです。かたや、安定している自分は面白くないなと(笑)。それで、独立しました」
しかし5年後には、またしても方向転換。この会社を手放し、現在に続く、個性心理學研究所を設立、その開発に着手したのだ。
「『福利厚生課』も社会貢献ビジネスとして始めたのですが、出資を募ったためにさまざまな人たちの間で異なった意見が出るようになり、当初の理念を遂行するのが難しくなってきたのです。ちょうど 40 歳になるころで、いわば人生の折り返し地点。次は自分のしたいことをしようと思いました」
極貧生活、一家離散…… 退路を断つことで見えた光
では、なぜ弦本氏は「本当に自分のしたいこと」として個性心理學にたどり着いたのだろう。
「真の社会貢献とは何かを考え抜いた結果、人間関係を良好にすることが、社会的に重大なテーマだと思い至ったからです。人間関係はストレスの最大の原因ですが、個性心理學はまさにそれを改善するコミュニケーションツール。自分はもちろん、相手の個性を知ることで、接し方が見えてきます。それは、人生をエンジョイすることにもつながるはずです。さらに、マーケットリサーチをしたところ、日本の占い市場は一兆円規模の巨大市場ということもわかり『これはいける』と確信したのです」
しかし、現実はそう甘くない。弦本氏は立ち上げから最初の数年間、極貧生活を余儀なくされた。
「開発には数億円を投じました。けれども設立当初から社員が数名おりましたので、彼らの給料は遅配するわけにはいかない。それで自宅まで売却してしまったので、妻は子どもを連れて実家に帰ってしまいました。財布はいつも空っぽで、山の手線内はほぼ徒歩移動。ある年の大晦日など、年越しそばを食べようにも立ち食いそば屋に行くお金もなかった。あの頃はさんざんでしたね(笑)」
それでも諦めずにいられたのは、2つの使命と、「誰もやったことがないことは成功する」という確信があったから。
「そして、成功するまでやめないというのも実は重要です。あの頃私はまさに八方塞がりでしたが、実はこれはいい言葉で、八方が塞がると、人は天に通じるのだそうです。中途半端に逃げ道を作るから、成功しない。退路を断ち、無一文になった私には頑張るしか道がありませんでした。その覚悟がきっと、天に通じたのでしょう」
iモードサイトで大ブレイク 個性心理學の魅力とは
努力が報われたのは 02 年。 99 年に NTTドコモが世界初の携帯電話によるインターネット接続サービス『iモード』を発表したが、弦本氏は「これからは携帯コンテンツの時代が来る」といち早く個性心理學のiモードサイトを作成していた。これが予想を上回る大ヒットとなり、同年のi モードサイトグランプリを受賞したのだ。そこからは各出版社から書籍のオファーが相次ぎ、多いときで毎月1冊のペースで関連書籍を執筆。
また、同時進行で手がけていたセミナー・講演活動も、あえて「もっともハードルが高い」と言われる病院からスタートさせ、ストレスフルな医療従事者たちの心を掴んだことで、各企業や学校から続々と声がかかるように。「個性心理學」は今日に続く一大コンテンツへと成長を遂げたのだ。
「ここまでブレイクするとは予想外でしたが、人の記憶はイメージでしか残らないという心理学の法則に着目し、動物のキャラクターを当てはめたことで幅広い年代の方に親しんでもらえたのでしょう。 12 匹の動物も『動物園にいて、 誰でも知っていて、人気がある』という3点を重視して選びました。連日動物園に通って動物たちの特徴を研究しましたが、異様な光景だったでしょうね(笑)。そして、世界最大の統計学である四柱推命を基本理論に据え、心理学的要素も盛り込み理論立てたのも特徴のひとつです。占いには道具を使うもの、身体的な特徴をとらえるもの、そして生年月日を使うものの3種類に大別できますが、物を使うものは偶然性の影響を受け、手相や人相は刻々と変化するなか、生年月日は誰もが一つ持っていて、一生、変化することがありません。そのブレなさも素晴らしいと思っています」
さらにこの個性心理學では、人間を本質・表面・意思・希望という4つの側面から分析するため、実際には 103万6千 800パターンにもなる。行動パターンや人生のバイオリズムも解析できるため、人生のあらゆる場面で、コミュニケーションツールとして活用が可能なのだ。そこがまた、人々の心を捉えたのだろう。
20 年、そして還暦という節目を迎え 社会貢献の対象は世界へ
そして、個性心理學誕生から 20 年の節目を迎えた今年、弦本氏はここシンガポールを新たな拠点のひとつととらえ、アジア、さらには世界へと活躍の場を広げるつもりだ。
「実は8年前にビルの階段から落ち、4回目の臨死体験をしたんです。そのとき〝あちら側〟で『次はもうないから、すべてをやりきるつもりで生きなさい』と言われたんです。そこで目覚めてから思ったのが、もっと世界を目指すこと。今後は英語版も展開していく予定です。もちろん、日本人の皆さんにももっと個性心理學を活用してもらいたいと思っています。少子化が進み、共働き家庭も増えたことで、子どものコミュニケーション能力はさらに劣っていると危惧しています。 また、シンガポールで暮らす皆さん日本人同士のコミュニティを活性化し、さらに中国人やマレーシア人など、さまざまな国の人たちとの国際交流にも役立ててもらえたら、と願っています」
闊達に話す弦本氏は今年、還暦という自身の節目も迎える。しかし、その勢いはまだ留まることを知らない。
(インタビュアー・吉田知未)